歴史文化ギャラリー > 地域の史跡等
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幕末になると那珂湊沖などに異国船が出没するようになり、水戸藩第9代藩主徳川斉昭は国防の必要性を強く感じ、鉄製大砲の鋳造を計画しました。
反射炉は、大砲鋳造に必要な大量の鉄を溶解する炉で、オランダの技術書や、先行して事業化した諸藩に学んで築造されました。
反射炉の名称は火炎を炉体内部で反射させて熱を効率的に集める構造に由来します。安政元年(1854)に着工、同2年と4年に1炉ずつ完成し、20数門の大砲が鋳造されたといわれています。反射炉は天狗党の乱(1864年)で破壊されましたが、昭和12年、ほぼ当時の姿に復元されました(図)。
※詳細は「那珂湊の反射炉」PDF版をご参照ください。
※さらに詳しく知りたい方は以下の文献をご覧ください。
加藤木和夫(2023)こうして水戸藩に反射炉は造られ、失われた――「那珂湊反射炉」歴史探訪
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